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ここには昼夜の別がない。
窓は昼間でも閉め切られ、分厚いカーテンに閉ざされて、室内に日の光が届くということがない。
常にぼんやりと薄暗く、そこここに灯された淡いランプの明かりが、書架にずらりと並んだ背表紙を、箔の押された表紙を、黄ばんだ紙面を照らし出す。
ランプの上の金属の皿から漂う、熱せられた樹脂の甘い香り。
影に沈んだ、飾り机の上の獣の頭骨。大きな巻貝。「毒薬」と記されたラベルの貼られた小壜。
ここでは時は、外とはほんの少し異なる流れを流れる。
古書蒐集家 アルマンは、村人 を希望しました。
この部屋の主――アルマンはそう言って、手に持った本の表紙を撫でる。
幾人もの人間がこの本を手に取って読んだのだろう、古びた革表紙の端は擦り切れ、小口は黒ずんでいる。
物語とは本来語られるものだ。
太陽の下で、木陰で、炉辺で、瞑(くら)い闇の中で。
代々人から人へと口伝えで受け継がれてゆく。
語り手から聞き手へ、そしてまた聞き手は語り手となり、新たな聞き手へと。
しかして、物語は生き物だ。
口伝で語られる物語は、語り手が変わるごとに、そして時代とともに、新たな挿話が付け加えられ、或いは削られ、筋を変え、結末を変えられてゆく。
物語とは成長し、衰え、繁殖して血を伝え、死に絶える生き物なのだ。
物語はだから、時間の流れの中で生き延びるために、語り継がれねばならない。
だが、文字で記された物語は違う。
一度記された物語は、形を変えることがない。
語られたその形のまま、記録された物体が消え去るまで残る。
本に記録された物語とは、時間から切り取られた物語なのだ。
――標本のように。
謎の少年 ミシェル が出現した。
謎の少年 ミシェルは、見物人 を希望しました。
―或る酒場にて―
[軽やかな足取りで、少年は初老の男に近づいた。噎せ返るようなアルコール臭が少年の鼻孔を鋭く突き、彼はキュッと眉を顰める。]
――なぁに?オジサン。
何でボクみたいなコドモがここにいるんだ?ってカオしてる。
なんでだろうね……?
[くすくす、くすくす。口元から、笑い混じりの吐息が漏れる。]
ねえ。
オジサンも、何でこんなところにいるの?
オトナだからって、酒場にいてもいいかどうかなんて、分からない。
――だよ、ね?
[初老の男は、奇妙なものを観察するような目で少年を見つめている。「なんだこのガキは」――それ以外に形容する言葉が、見つからないような目で。]
「人間」が立っているこの大地はね、
[酒場の床の上で、黒い革靴が跳ね踊る。
少年はくるりとひとつターンをして、天使が羽根を広げるように両腕を伸ばした。]
――ホントは不安定なものでしかないんだって、ボクの「ご主人様」が言ってたんだ。
[顎をくいと上げ、少年は誇らしげに微笑んでみせる。]
ボク達が足をくっつけているこの床も。
オジサンが「オトナだから」酒場にいてもいいっていう理由も。
――ボクが「コドモ」だっていう、「推測」も。
自分が「正しい」っていう目で見ていることは、実は自分が「あってほしい」位置に、「正しい」大地があると信じ切った上で見ているだけのことなんだって――…ね。
ねえ、オジサン。
[広げていた片方の「羽根」――否、片腕を、初老の男に伸ばした。]
――…オジサンの「望み」って、なあに?
ふふっ。
「あるにはあるけど、どうせ叶わない」ってカオしてる。
それはホントに「叶わない」の?
それはホントに「正しい」大地の上に立っている理屈なの?
アルコールの向こうに其れを追いやってしまったフリをしているだけじゃぁなくて?
――だってオトナは、アルコールを飲んで「望み」を忘れようとしているって、ボクの「ご主人様」から聞いたんだもの。
ねえ、オジサン。
「叶わないコト」なんて、ないんだよ。
オジサンが「望みさえすれば」、ね。
そう――…オジサンが「其れ」に、取り憑かれている限りは――…
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