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――夕刻、屋敷・隠し部屋――
[目覚めた時、そこがいつもの"寝室"ではないことに気づく。
背に当たるのは棺の硬い感触ではなくて。柔らかく沈むクッションの――上質なソファーの上。
目を開けると同時に視界に入るのは、疲れを滲ませた伽耶の顔。
村で異変があったのだということは容易に知れた]
伽耶……何があった?
[彼女に身を預けたまま、見上げたその頬をそっと撫でる。
長すぎる生に飽いた――そう何度も思ったはずだというのに、安心する自分がいる。
今はまだここに存在できている。
まだ夢が続いて――いる]
……う、……あ……
嗚呼、あああ……
っ、……ぐ、……!
[床に這い蹲り、呻く。爪でがりがりと床を引っ掻き、身を捩る。青年が去ってからそう経たないうちに、それは襲ってきた。――餓え。今までついぞ味わった事のない、あまりに強大な、絶対的な、飢餓感。ぎり、と歯を食い縛る。強く強く、拳を握る。
だがどうしようとその苦しみが紛らわされる事はなかった。これを解消する手段は一つしかないのだと、わかっていた。
部屋の片隅の女を見る。餌として用意された女。血を吸ってなどならない。殺してなどならない。それは理に背く行為だ。だが。生命の理に逆らってしまった屍鬼が、守らなくてはならない、守る事の出来る理など、あるのだろうか?
失った理を、守る事など、出来るのだろうか]
……、……
[わからない。
理はあるのか。罪と罰はあるのか。
わからない。
一瞬、その全てが、どうでもよくなった。
ただ――お腹が、空いた]
―寺→屋敷―
[下唇をぎゅっと噛み締める。自身の運の無さを呪いつつ、寺には向かわず今登って来た石段を降りていく。
その際、神社の方へ人が集団で移動して行くのがチラリと見えた。
こんな時間から、寺ではなく神社――
嫌な予感がする。夜中に遭遇した"僕"は紫苑にちゃんと伝えただろうか?
居ても立っても居られず、走り出すように屋敷へと*向かった*]
[気が付けば、その首筋に牙を突き立てていた。血を啜る。肉の脂のような甘みを感じた。餓えが癒されていくのがわかった。代わりに何かを失ってしまったような、気がした。だがそれも今はどうでもよかった。ただ身を満たす事しか考えられなかった]
……
[女は解放するとそのまま動かなくなった。死んでしまった。殺してしまった。頭の片隅に追いやられていた罪悪感と後悔が、滲み出るように生じてきた。頭を抱え、その場に蹲り]
……嗚呼、……
[嗚咽にも似た声を漏らす。やがて再び訪れた青年によって、男は外へと出された。視界が青褪めて明瞭だった。此処が山入である事を知った。其処此処から話し声が聞こえてきた。死んだ筈の人々が、辺りを歩いていた。山入は、屍鬼の住処と化していたのだ]
[それから、男は先達の屍鬼に様々な事を聞かされた。屍鬼の特性、現状、村が屍鬼狩りを始めたという事。その主導者だという高瀬の顔を思い浮かべ、目を伏せた。
どうして、こうなってしまったのだろう。そんな事を考え続けながら、男は他の数人の屍鬼と共に、山入を*後にした*]
――夜、クレオール――
[満足行くまで、食事を楽しんで。
ぼうとした目でこちらを見やる大男に、一連の襲撃などなかったかのように再びにこやかな物腰で話しかける]
ごちそうさま。なかなか、美味しかったですよ。
"ほとぼりが覚めた頃"に深夜の営業をして下さると、嬉しいです。
後ほど引越しの手配をさせますから。とりあえずは一度そちらの方に。
いいですか、あなたは引越し屋を名乗る者が来たら、その者を招き入れ、言われる通りに引越しをします。
表向きには、店を閉めて国に帰ることにでもして下さい。
―寺→屋敷―
[既に日は昇りきり、じわりと暑さが滲む中屋敷へと駆ける。回りの景色は目に入らない、誰かに自分の姿を見られていたかもしれないが、それすら気付かないままに。
ようやく屋敷へと続く坂道まで辿り着く。息は上がりもう走る事は出来なかった。
坂を上りながら、歪む景色。眩暈を起こしその場にへたり込んだ。連日の睡眠不足から来ているのは間違いない。自分の弱さを呪う]
(早く、行かなければ……)
[下唇の内側を、血が滲む程強く噛み締めた。
痛みと共に口の中に広がる鉄が錆びたような味……
気力を振り絞り立ち上がると、再び屋敷へ向かって歩き始めた]
―屋敷―
[通用口から敷地内へ入り、屋敷を見上げる。
正面2階部分に有る見晴らしの良い居間や、自分の部屋の辺りの鎧戸は開いているが、紫苑達がいつも寝ている1階部分の部屋や廊下の鎧戸は全て閉まっているのを見て、少しだけ安堵する。
が、しかし……。あの神社へと向かう集団の事を思うと得体の知れない不安が込み上げてくる。
人という生き物が、集団で動く時、それは何かを行う時。昨夜の"僕"の報告。今ここにあの集団が来たら――
早鐘を打つかの如く、心臓の鼓動が早くなる。息苦しさに顔を歪めながら、屋敷の中へと消えていった]
─夕暮れ時─
……おばさん?
神威さんのおばさん!
[神社からの帰り道、人を探している風なおばさんを見かける]
え? 神威さんが今朝から出かけたまま戻らない?
病院にもいなくて?
神威さんは……先生の補佐みたいな人だから、先生の指示で何かをしてるの……かもですけど。
いいえ、集会には出てなかったです。いたら解ります。
……もう、日も暮れるし、おばさんは家に戻った方がいいと思います。
ひとりでいるのが心配なら、神社に行くといいかも。何人か、泊まりこむ人もいるみたいですし……。
わたし、先生に会ったら、神威さんのことを聞いておきます。
――夜――
[村の電気はまだ復旧しない。蝋燭や懐中電灯、篝火が用意されたが、それでも村の夜は暗い。
村は不安に包まれていた。
日中、村のあちらこちらで、神社で襲い掛かってきたのは人間。それを村は――殺してしまった。
狂気が少しずつ、村の空気を濁らせていた。
例え、屍鬼を全て殺したとしても村は果たして――?]
― 神社 ―
[明日の段取りを話し合う]
とりあえず明日の朝一に兼正に行こう。
どんな手段を使っても中に入るんだ。
[桜子が来たら話をしたかもしれない]
―屋敷―
[屋敷へ入ると、厳重に鍵を閉める。
電気を点けようとしたが点かない。やはりあの小火で"人形"達が動いたのだと確認出来た。しかし、タイミングは悪すぎる。手探りで1階を移動し、発電室へと辿り着く自家発電に切り替えると、必要最小限の電気のスイッチだけ入れて彼の部屋へと向かった。
いつもと同じ静寂の中、いつもと同じように蓋の閉まった棺が有った。そっと近寄りゆっくりと蓋を開ける……。
完全な"死体"と化し、安らかに眠る彼の顔を見てほっと胸を撫で下ろした。しかし、非力な自分の力ではとてもではないけど抱えて行くのは不可能だ。人形達も居ない。
一旦棺を離れると、彼のクローゼットを開ける。彼のお気に入りの洋服がズラリと並ぶ、大きなウオークインクローゼットの奥から出してきたのは車椅子だった]
―村中―
[男は数人の屍鬼と山を降りて移動し出した。闇に乗じて人々を襲い、また情報を流し合って、屍鬼狩りに対抗するために。――だが、男は途中でその集まりを抜け出した。屍鬼として村を襲う手伝いをする気になど、なれなかったからだ。
己は間違いなく屍鬼となったのだと知っていながら。屍鬼を倒す村人となる事など、屍鬼を倒して元の生活に戻る事など出来ないのだと、知っていながら。
男は村中を潜みながら進んだ。死体となっているのを確認されていない、行方不明扱いになっているだろう身故に、他の死を看取られた屍鬼よりは大胆に。されど堂々とはいかずに]
……
[闇の中を駆ける。幾ら走っても苦しくならなかった。
走りながら、男は周囲の光景を見、また考えていた。顔見知りの村人達が暴動に走る様は、恐ろしかった。杭や槌やから想像される苦痛と二度目の死も、恐ろしかった。己が異形になってしまった事が、人を殺めたという事が、恐ろしかった。
幾多の恐怖と悲しみが胸を占めていた。走り続けたのは、それらから逃げたかったからなのかもしれない。こうなった以上、その全てから逃げられないと決まっているのに。心中で呟いて、自嘲した]
─村中─
[諦めるタイミングが遅かった。わたしは不安にさいなまれながら、帰途を走る。
たいまつで照らされる人の顔は、いつもと違って、一瞬誰か解らない。誰もかれもが「よそもの」に見える]
大丈夫、急いで帰れば大丈夫……。
[昨夜のことを思い出すと、膝が震えそうになる。建物の影ごとに、あの人が潜んでいそうな気がする]
―村中―
[男はとある場所に行こうかと考えていた。神社。村人達が拠点としているらしい場所だ。考えるだけで、胸がざわざわと騒いだ。想像するだけでも、生前には神聖さや安らぎを覚えていた筈のその場所から、不穏な気配を感じた。先達に教えられた通りだった。入る事は、不可能ではないかもしれない。だがあまり奥に行ったり長居をしたりは出来ないだろう。危険なのは確実だった。
そんな場所にあえて行こうなどと考える理由は、高瀬に会うためだった。屍鬼となった事を知られたくないという思いはあった。狩りの主導者だという恐ろしさもあった。それでも、どうせ逃れられないのなら。どちらの道を選ぼうと、終わりに待つものが同じなら――]
……、
[結局、一番の理由は、単純に会いたいからというものなのかもしれないが。そう考えては、眉を下げて笑った。同僚達や、ハルや、母や――幾つもの姿を思い出し]
……っ、
[足を竦ませた。神社に辿り着いたからではない。その様はまだ全く見えなかった。思い浮かべた姿の一つが、視界に入ったからだ。闇の中、立ち止まった男に、その姿は、桜子は気が付いただろうか]
[ヘッドサポート付きの車椅子を棺の横へと着けると、棺の中から彼を抱き起こす。
体力的にも限界が近いが、最後の力を振り絞るが如く、ゆっくりと棺から引きずり上げ、なんとか車椅子へと移動する事が出来た。
向かうは再び発電室。車椅子を押しながら、一瞬須藤の事も頭を過ぎったが、もう其処まで手を回す余裕は無かった。
とにかく早く、安全な場所へ……。逸る気持ちを抑えながら、発電室の奥に有る隠しエレベータを使って屋敷地下に有る隠し部屋まで辿り着くことが出来た。
ダウンライトが幾つか灯る、薄暗さは有るものの雰囲気の有る良い部屋。上質なソファーに小さなテーブルが一つ。
念には念を入れ、エレベーターのスイッチの蓋を開け、エレベーターの電源を落とした。]
[屍鬼と変えられた村の者たち。命令に逆らえば――制裁が待っている。
自らの意思で嬉々として従っている者もあれば、仕方なく従う者もいる。
新しく屍鬼となったばかりの者の動向には特に気を配るよう、"忠誠心"の強い者を中心に厳命してあった。
何かあれば、責任を持つ者が罰を受けることになる。
新入りの姿を見失ったとあれば、血眼に探すことだろう。
人間を見つければ襲い、さらに"それ"に人間を襲わせる。
それとは別に、高瀬は最優先で襲うよう命令が出されている]
……?!
[ふと、わたしの足が止まった。
背の高い……男の人。わたしはとっさに、「よそもの」が追いかけてきたという恐怖に襲われる。小さな手下げに隠した木杭に手を伸ばす。
……でも]
……ぁっ……。
神威さん? 神威さん!!
[わたしはほっとして力を抜いた]
神威さんも「狩り」に参加してたんですか?
……こんな時間まで。お昼も食べてないんじゃないですか?
おばさんが心配してましたよ。
早く戻るか……神社に行ったらいいと思います。おばさんにもそう勧めましたし。
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