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>>5塵
[近くで呟きが聞こえた。まだ上手く飲み込めていなくて、顔をそちらへ向けることはなかった。しかし、それが余りにも親しんだ声だったので、反射のようにぽつりと、言葉を落とす。]
あの人、なんにもわかってない。
何も、危ない事なんて、起こるわけないじゃない。
[それは、今まで何も無かった。これからもそうだ。と、頭の中で何度か繰り返した後の、何よりも自分が信じたい言葉だ。]
[10数えたところで、目を閉じた。
本当はそんなことをするべきじゃない。音叉に気をつけろと賢者は言っていた。だから、そんなことはするべきではない。
目を開ける。11を数える気にはならなかった。
また重い溜息をついたところで、検査室の中から呼ぶ声。
椅子からかかとを下ろして、数えるべきだった11個目の木目を踏んで立ち上がる。
今はまず、目の前のことに。**]
あ……、[室内に現れた男性に視線を上げて、足を引いてローブを少しつまんで礼をした。]
――はい、大丈夫です。きっと賢者の方の勘違いだと……家にご迷惑はかからないように、――分ってます。
アンも聖痕者ですから、いてくれますし。傷とかは、 はい。
[相手の言葉に頷いて、用件を述べて立ち去る背中を礼をしたまま見送った。
もう一度軽く頭を振って、ふらりとよろめいた身体を一度壁で支えてから寄宿塔へと引き上げていった。**]
【魔術師の塔・中庭】
[小さな中庭の、木製のベンチの上。女が座って、ぼんやりと草木を眺めていた。何も言わない。何をしている訳でも無い。ふ、と溜息をひとつ。]
……音叉。か。
[呟く声には、珍しく感情がこもらない。いつも笑っている表情は固まり、感情が押し込められたように表にでない。また溜息、ひとつ。]
【訓練場】
[まだ朝霧の漂う林道の中、どす、どす、と無機質な音が響く。
いつもと何ら変わりのない話をされるのかと思えば「音叉に気を付けろ」だなんて、横っ面をはたかれたような気分だった。訳が分からなかった。
訳が分からなかったが、ここ最近のピリピリとした雰囲気はこれによるものだったのかと思えば納得が行く。
…とは言っても、素直にその話を受け入れる気分にはなれなくて。
招集された面々には軽く会釈だけして塔を抜け出し、街を抜け出し、ここまでやって来たのである。
もんやりとした不安を取り去るために、数日前に教えられた剣の復習を一通り行い、それ以降はひたすら的に向かって矢を放っていた。
どす、どす、どす、どす、どす。
次々と矢が放たれ、いつしか的がハリネズミみたいになっても構わずにただありったけの矢を打ち込む。
手の皮は剥け血が滲み出していて、誰の目から見てもオーバーワークなのは明らかだったが、それでも青年は矢を放つことを止めなかった。]
>>9塵
……。
[貴方の言葉一つ一つにそうだ、と言いたくて、それでも声はでなかった。結局、最後まで黙して聞いてしまって。言葉が途切れれば、一度、目を閉じる。]
……うん、大丈夫。
[間があって、ぽつり、ぽつりと話し始める。それは徐々に言葉数を増していって、どこか雨の降り始めに似ていた。]
すごく、ごちゃごちゃして。
よくわからない、けど、きっと私、怒ってるんだ。
音叉なんて、たとえ本当だったとしても、皆がそんなことするわけないもの。
だからきっと、そんな風に言われて怒ってる、それだけ。多分ね。
[吐き出すように言ってしまってから、深い呼吸が辺りをしんとさせたか。]
……ごめんね。
[精一杯の笑顔を作ろうとして、上手く行っていないことが自分でも解かった。実際、力なく映っただろうか。]
>>13糸
[あなたの顔を見る。視線は合っただろうか、意図して合わせられなかっただろうか。表情の曇りもようから、ぽつぽつと降り始めた雨粒のような言葉に。傘を差し出してやりたかったけれど、なかなかうまい言葉が見つからないでいた。]
謝らなくていいよ。
きっと、みんな混乱してるんだろうね。俺もそうだけど……。
俺は、兄さんを心から信頼しているし。リネアの事だって信じてる。みんなの事も信じたい、な……。学者先生に、俺達の何がわかるかっての。
大丈夫だよ。うまく言えないけど、悪い事なんて起きないよ。きっと。
[その笑顔が悲しそうに見えたので、そっと手を伸ばした。拒否されなければ、その小さな肩に手をおこうと。きっと、今日も明日も。昨日までのような平凡な日々が続くはずだ、と。]
>>14塵
[雨煙を縫うようにして、ゆるりと視線が合った。それは当惑を湛えているようで、水面のように揺らいで見えただろうか。]
うん……うん。
ありがとう。私もね、ヘールの。みんなのこと、信じてるから。
悪いことなんて、起こりっこない……。
[そんな言葉を繰り返せば、肩に貴方の手が置かれた。染み入るような間があって。]
……私、お店に戻る。
いつも通り過ごしてたら、あの人だって、きっとまた"異常なし"って言ってくるよ。ね?
[惜しむように立ち上がる。いつものように手を振ろうとしたが、小さく手があがっただけだった。貴方が付き添うなら、共に。そうでなくとも、どこか引きずる様な足取りで、店へと。日常へと帰っていこうとする。]**
[暫くしてから、塔の外に出た。昨日と同じ空を見あげる。誰かも、こうして呆然と空を眺めているのだろうか。]
――俺は、あの人達が好きだ。うん、そうだ。
[これだけは揺るがない真実だ。だから、その真実を抱えて走りだした。風がびゅうびゅうと吹いていた。**]
[―どす。
手元にあった最後の一本を放った頃、足元にきゅう、と小さな鳴き声が聞こえた。見てみれば一羽の兎が心配そうにこちらを見上げていて、青年はそこでようやく我に返った。]
…ごめんね、ちょっと落ち着かなくて。
こんな時こそしっかりしなきゃいけないのに、何やってたんだろう…。
[屈みこんで、兎を一撫でしようと手を出す。しかし差し出した手はぼろぼろで血さえ滲んでいて。自嘲気味に笑いながらその手を引っ込めるのだった。]
大丈夫だよ、皆を悲しませるような事はしないって言ったじゃないか。
みんな、僕が護るんだ……絶対に。
[半ば言い聞かせるように、あるいは使命感でも持ったみたいに小さく呟いて。傷だらけになった手を冷やし気持ちを落ち着かせるためにも、近くの小川の方に歩き出すのだった。その足取りは、どこか重く暗いものであった。**]
[しばらく――というにも、大分長い間、女はベンチでぼんやりとしていたが。それを見つけた魔術師の一人が、声をかけてくる。ずっと居るが具合が悪いのか、それなら救護室に、と。]
あ。ううん、平気。
そうじゃないの……
[ふらり、立ち上がる。尚も声をかけてくる魔術師から逃げるように、どこかへと去っていった。**]
【使用人室】
[リコシェと話したかったけど、研究員に遮られてしまった。ぼっちゃんを守って差し上げたかったけど、"大丈夫ですよ"と声をおかけ出来ただけだった。仕事がどうとか言って、殆ど逃げるようにして、塔から去ってしまった。]
[ベッドに座って、背を丸め、両手を額に当てている。]
[うるさい。]
[頭がひどく痛む。右から左からめちゃくちゃに変な思考のような、流れのような、何か青色のような、かと言えば赤色のような、そんなものが頭の中を駆け巡って、蹴り回っているかのようだ。全身が心臓みたいに拍動しているかのようだった。胸の奥から吐き気が込み上げてくる。腹に力を籠めてきゅうと絞ってみたが、苦しくてまた隆起した。
いっそ吐ければ、楽だったかもしれない。]
……。
お掃除を、しないと、
[ふらりと立ち上がり、部屋を出た。**]
【魔術師の塔、検査室前の廊下】
[音叉を見つける為にだろうか、それともいつものただの実験か。
今朝の賢者の話しの後から時間をおいて、順々に聖痕者が検査室に呼ばれているらしい。
廊下に設えられた粗末なベンチで少し腰を浮かして、来ている簡素な検査着の裾を伸ばして座りなおした。
肩から掛けていたショールもはおりなおす。]
[ため息をついて、両手を膝に置いたまま両足を伸ばして天井を仰いだ。あるのは天井の染みだけだ。]
>>21光
【魔術師の塔、検査室前の廊下】
ぼっちゃん。
[廊下の向こうから、君がよく聞く声が届けられた。そこに居るのはやはりその人。腰に帯びることを許されてから、ずっと下げている剣をかちゃかちゃと鳴らして、小走りに君へと近付いた。
検査室で何やらやっているとは分かっていたから、その声は抑えられていたけれど、明らかに緊張と不安に満ちた声だった。]
[ベンチには座らずに、君の傍らに立ち、君の目を見た。張り詰めたような目つきで。]
……お身体の方は、問題ありませんか。
[こんな騒動が、あったのだから。]
【昼下がり、食堂】
[昼食には、少し遅い昼下がり。少年は魔術師の塔の食堂へと、鈴の音を鳴らして現れた。
すでに混雑は収まっていて、雑談の場を求めているだけの研究員や見習いたちがちらほら座っている程度。
ぐうとなる腹をなだめながら、昼食を受け取りにと窓口へと向かう。
こんな時間では、ありつける食事だって簡素だ。もっとも、置いてもらっている少年の立場から言えば、こんな時間に来て昼食にありつけるだけで、充分感謝せざるを得ない事なのだろうけれど。]
[受け取ったパンと、グラスに入ったぬるい水。
食堂の隅の席に落ち着いて、パンにかじりつく。
あまり味がしないが、ずっと噛みしめてから、水で流し込んだ。]
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