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ええ………もちろん。
[ジュアンの口元が、ゆるりと笑んだ。
一糸纏わぬザリチェの背中に、ジュアンの双の手がゆるりと這う。
右手の黒い爪は、絹の肌を傷つけないように慎重に――しかし、微かな痛みを与えようとして――ザリチェの背中の上で、カリ…と微かに弧を描く。そして、左手――長年の演奏で、芯からざらついた指の腹が、ザリチェの背中から首筋、耳元へと這う。]
[ふぅ][唇から浮かぶ、小さな吐息の泡]
[額の上をさらりと髪が流れ、ジュアンの視界に少しずつ霞が掛かった。]
[――躯の隅々が、鋭敏になる。
細胞のひとつひとつが、ザリチェの肌の質感、重み、体温――ありとあらゆるものに対して、集中してゆく。
ザリチェの熱い吐息が、肌の上を静かにそよぐ。
――だがそれも、ジュアンにとっては、熱く大きな竜巻となって感じられた。]
………………っ
[頭をひとつ、ゆるりと横に振った。]
[森中の少し離れたところで、闇馬のいななく声がする。
遠くから魅入られたようにこちらを見つめる幼い魔の気配は、最前に気付いた。
五感はずば抜けて鋭いとは到底言えぬ……が、悪魔の気配を感知すること、魔の力を測ることは他に誇れるほどには秀でていた。
にも拘らず目の前のジュアンから瞳を逸らさない。
幼い魔に誇示するかのように、あられもない媚態を見せた。]
[己の名を繰り返す、ロネヴェの口元の動きが扇情的に見えた。
素敵な館と云う言葉に、小さく肩を竦める。今、ウェスペルの傍に腰降ろすとその行動で、この美女の性格が伺い知れるようだった。]
…どの《候補者》が屋敷を破壊したかは知っている。
美女に触れれられれば、心地良いものであろうに。クックック
私も、今、犯そうとした所為で刺されたばかりだ。
以前に、遊び過ぎた──。
[左顔面に刺さった針を凍り付かせながら落とすと、血が滴った。肩や腕からも、小さく抉れた複数の傷、抉れた肉が覗いているだろう。「痛いな」と云いながら顔を背けるウェスペルのうなじを撫でる。]
[この感触の前では――視界など、意味の無いもの。
まして色など《青》――《瑠璃》以外に価値は無い。]
[だからかれは、視界を塞ぐ。]
[すべてを、目の前の淫魔に集中させるために。]
[カサリ。足元に落ちていた葉が擦れる音。
ドクリ。己に覆い被さってきたザリチェの鼓動。
馬の嘶く声。これは何だろうか。
馬など乗ったことのないジュアンには判らない。
ザリチェの瞬きの音。何処か遠くを見ているらしい。
息づかいを感じる。
――目の前の魔と、馬、それから、遠くにもうひとつ。]
[――でも、別に、構わない。]
客人に酒を出さぬわけにもいくまい。
…葡萄酒ならば、貯蔵庫に残っているかも知れんな。
[ウェスペルの心情を思いやる事無く、指先で簡単な魔術を行い、貯蔵庫から割れていない葡萄酒を探す。割れた玻璃がシャラリと楽の音の様な音を立て、さまざまな動物の意匠が施された葡萄酒のボトルが、宙を舞い、かろうじて姿を保っているサイドテーブル、三人の傍に並んだ。
ただ、魔術で作りだせねば、グラスが無い。
ボトルの一つを葡萄酒が注がれた状態の三つのグラスに変形させる段になって、クァルトゥスは漸く、ウェスペルの上から身を退けた。]
[馬の嘶きが、耳に届く]
っ、……しっ
[唇に指を添えて、沈黙を促した。
存在が感づかれているだろうという危惧もあったのに、何故、それだけに留まったのか、自身ですらわからない。
淫魔の存在は知っていた。無論、魔の好む行為も知っている――が、幼き魔にとってそれは「愉しいもの」ではなく、触れるだけで厭きてしまい、それからというもの、自ら望んだ事はなく、性無き身体は、必要ともしなかった。
他者の交わる姿など、見たこともない。
冷えた身体が、何処か、熱を持ったように感じた。
銀の幹に添えていた手に力が篭る]
[ジュアンの両の手が背中を這う。
その刺激は多種多様で、幾つもの異なる感覚を同時に喚起させた。
ザリチェは今、名手に調律される楽器であった。
情欲の弦を掻き鳴らす指に震え、麗しい音色を薄く開いた口唇より洩らした。]
[シュッ――…息を吐く音。
息が途中で二手に割れたような感じかもしれない。]
[ザリチェの声より高く、幼い声。]
[――見学者さん、ですかねぇ。]
[ジュアンは、微かに笑った。]
[グラスを作ろうとしたのだろう、魔術を行う手に、手を添えた。クァルトゥスの腕に指を滑らせ、肉の露出した傷に触れる。
あの淫魔のような力を、目線だけですべてのものの心を捉えて離さぬ魅力を持たない事が忌々しい。]
葡萄酒などよりももっと強く、喉を灼くような酒が欲しいわ――
それとも、オードブルから頂くべきかしら
[ちらりと視線でウェスペルを指してから、その目をクァルトゥスに注いだ。]
[白い背を這う手を真似るように、手が自然と動いた。
驚きに目を見開き、直後、硬く目を瞑り頭を振る。
けれども、眼前の幻想は晴れない。
開いてしまえば、眼差しは再び、奪われる]
[一体己は、何をしているのか。
結露したかの如く、手は汗ばんでいた]
それならばお前が触れればよかろう。
[ぎろ、と金の眼で睨み]
遊びで、貴様よくも―― ……ッ!
[うなじを撫でられて、びくりと首を竦める。
小さく声が漏れた。]
……っ
わかってやっているだろう、貴様……
[ようやっと重みが遠のいたとき、
起き上がりながら抑えた低い声でそう謂った。
乱れた髪を手で梳く。
凍り付いていた血が掌の体温で溶け出していた。
それを見つめ、心中繰り返すのは
先程のクァルトゥスの問いか。]
[ザリチェの吐息が聞こえる。
――…やはり遠くから聞こえる其れよりも熟れた音だ…――ジュアンは、そう思った。]
[ざらついた左の指をザリチェの耳から離し、こめかみを通過し、頬を伝い、鼻の横を通り、唇の端へと運ぶ。]
[右の手は、ザリチェの絹の背中に微かな痛みを与える動きを止めた。掌でうっすらと筋肉の感触がする腰をなぞり、ザリチェの薄い乳房のふくらみへと指を運び――]
……佳い、音です。
[再び熱い掌で、絹の背中をなぞった。]
[耳元を何かがくすぐるのか、時折、クァルトゥスはピクリと肩を動かす。
女の手が己の手に重ねられた瞬間、無言で唇の端を楽しげにゆがめた。ウェスペルを挟んで、紅玉の目でロネヴェを見詰め返した。]
─…ロネヴェ。
貴女も趣味が良い。
[ロネヴェの手を取り、手首に軽くくちづけた。]
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