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[昼間に直してもらった右腕の分と同じだけの綿を、夕方には買い込んでいた。
ここ2日、リサイクル品の売りつけもできていなくて、元から薄い財布はすっからかん。とはいえ、今はそんなことを言っている場合ではない。
今を越えなければ明日は来ない。]
【東景の主の屋敷・深夜】
[本来、ぬいぐるみに睡眠は必要ない。それでも昼間の痛みや思案は、綿に休息を要求する。だから大人しく目をつむっていた。
すぐそばで身じろぐ気配に目を開けた。何が起きたのかはわからねど、見上げた強ばった表情に暗闇の中で唇を尖らせた。
──
慌ただしくなる屋敷の隅に集まった、厨房に働くだけの女妖、まだ幼いもの、老いて力を失ったもの、ただそっと佇むだけで満足するような非力なもの──彼らに、しぃ、と唇の前に指を立てて見せた。
そんな仕草で注意を引けば、]
大丈夫。
押さない、離れない、しゃべらない、戻らない。
──さ、こっちにおいで。
[人の世に伝えられる言葉を、ささやくような声で知らしめた。
守るに長けたあやかしたちで彼らを囲み、屋敷の裏、わずかに伸び始めた結界へと走り出す。]
[あらかじめ聞いていた、こことは異なる“結界地”の候補へとそっと伸ばされた、避難の経路を駆ける。
急ぎすぎて足がもつれた小妖の手を、引く。もたもたしてはいられない──今はその道も結界の残滓が守ってくれているけれど、一刻もはやく、その余力を彼女に返さねばならない。]
──ッ、……?
[なんの異変が起きたか、周囲の音が変わった。その気配を察したか、手を繋いだ小妖がそのくりくりとした目を不安に彩らせて、こちらを見上げる。
周囲を覆う、“護り”の気配が消える──大丈夫、ともう一度伝えるようにぎゅっとその手を握った、その瞬間。]
[布の耳が、空気を切り裂く音をとらえた。ぎゅっと握った小妖の手をぐいと引き、]
受け取れッ── っふ、
[前方を駆ける、守りのあやかしへと叫ぶ。引いた勢いを殺さず、身を反転させて彼へ小妖を放り投げた。
反転の勢いもまた殺さず──ふわと浮かせ回し上げたかかとが、飛来した目玉のあやかしを叩きつぶす。]
[身体の回転の勢いを殺しきれずに、ト、トと後ろに下がり、真闇の空を見上げる。ただの一打で地に落ちるようなその目玉は、けれど先手の一匹で、闇を切り裂いていくつものあやかしが──身体を傾けて、羽織ったパーカーを急ぎ脱いだ。]
走って! まっすぐ、
[怯え足の止まった小妖へと、叫ぶ。雷を受けたように彼らは悲鳴を上げ、走り出した。こちらも残るつもりはない──追い来るあやかしへと視線を投げれば、自然しんがりとなるか。
同じくしんがりへと回った仲間と一度だけ、呼吸を合わせた。パーカーを掴んだままの右手に、ぐと力を入れる。]
……来るよ!
[薄くなった結界を突きぬけてくる者ども──それは先ほどと大して変わらぬような、力なき、数で押してくる者ども──へと、その身をむける。すぐ隣で足を止め、かかとを打ち合わせた仲間が、巨大な壁へと変わっていく。]
ッらぁ!!
[轟、力なくとも数があればそんな音までするものか──パーカーの布を広げ、仲間の取りこぼしたあやかしをたたき落とし、蹴り落とし、時には自身の綿へと食らいつかせ踏みつぶし──]
>>98 狐
[激突。狙い通りの。その一瞬、目は合っただろうか。鋭く射貫くような眼を前に、あの神社の頃のように戦く事はない。妖鼠の濁流の中、停滞などありえない。聞こえた呻きを、ギュリギュリと歯ぎしりで掻き消す。]
やりたくないなら、――、
[弾いたあなたを更に突き飛ばさんと再び四肢の爪が土を掻く、しかし、激突の反動で、突進の勢いは更に削られていた。故に、あなたの手は届いた。]
――っ、なん、……!
[あなたがこれほどに反応できるものと、この大鼠は知らなかった。あなたの叫びが鼓膜をつんざいた。振り解く動作が瞬時、遅れたのはそのせいだ。至近距離の狐火が、胴の毛皮に迸った。毛皮の、生きた蛋白質の燃える臭いが立ち上る。]
ギイッッ……!!
[獣の悲鳴を上げながら、今度こそあなたを振り払わんと身を大きく捩る。黒々とした鼠の目が、炎に、あるいは身を護る為の本能の興奮に、爛々と輝いていた。あなたが手を離そうと離さまいと、この大鼠は大きく跳ねるように暴れ、あなたへ己の武器を、鍬の刃を思わせる鋭い前歯を向けようと――。]
>>103鼠
[激突の一瞬、目が合った。苦痛を堪えるように眉根を寄せてたけれど、あなたから目を離すことはなかった。
あなたへと手を伸ばして距離を取られないようにと掴んだ耳を握りしめ、至近距離で狐火を放つ。自身で放った炎に煽られたのと、あなたが大きく身を振ったのとに耐えきれなかった手が耳から離れた。
燃えるたんぱく質の臭いに顔をしかめる暇もなく、暴れたあなたに弾き飛ばされるように地面へと投げ出された。向けられた前歯が刃のように炎で光ってみえて、一瞬竦んだ身が反応を遅らせる。]
っが、あぁ……ッ!!―――
[避け損ねた肩へと前歯が突き立って、悲鳴を上げる。
その一瞬、狐の目が輝いて、あなたを見た。
あなたの目に、あなたの前歯を突き立てられて死んでいるあなたの大事な誰かの姿が映るだろうか。]
[それは一瞬の幻術だけれど。戦いの中では大きな一瞬を作りだせるはずのもの。
あなたはその幻に気を捕らわれただろうか。
その一瞬の隙を狙って、肩から血を流す一匹の狐が、あなたの喉笛へと牙を剥く]
>>104狐 >>105狐
[しっかりと肉を噛んだ感触、あなたの悲鳴。興奮状態であった獣は、瞳の輝きそのものに怯みなどはしながったが、]
――――。
[口の端を波打つように引き攣らせ、獣は、動きを止めた。幻術は、おそらくあなたが思うよりも、多大な効果を見せた。この大鼠は、その身の力さえ抜いただろう。]
[――何故なら、大鼠が貫いた命は、
これまで戦っていた相手となんら変わらぬ、神使狐だったから。]
[ゆる、と前歯を離そうとした動作も緩慢で、狐の牙は、大鼠の喉笛を的確に捉えた。
まん丸に見開かれた目、ヂ、というもはや鳴き声とも取れぬ音。喉を震わせ、血を滴らせながら、牙を振り解かんと暴れるが、牙に抑えられた呼吸が、その抵抗を徐々に弱まらせていく。]
>>106鼠
[大鼠が動きを止める。投げ出した身へとかかっていた圧力も、己の身に突き立った前歯の力も、全てが緩んで抜けて、]
――、
[一瞬の動揺を誘うためだけのその術がもたらした効果に、動揺して、その動揺で戦いの興奮から一瞬冷めた頭が僅かな迷いを抱いたのも、確かだ。]
(でも、ねね、)
[幻術から飛び出すように、牙を喉笛へと突き立てる。見開かれた目を確認することもできず、ただ目の前のあなたの命が通う首筋を見つめて、強く牙を突き立てた。抵抗を前足でのしかかるように抑え込んで、封じていく。]
(こうしないと、もう止まってくれないんだろ)
[あなたの抵抗が無くなる頃、ゆっくりと牙が外れて、人に戻った狐が揺れた瞳があなたの目を覗き込む。]
[牙が外れ、ど、と大鼠は地に伏す。視界がひどくぼやけていて、覗き込むあなたの瞳もとらえることができない。
地面を通じて、ネズミ達の足音が聞こえた気がした。この事が成れば。人間が他の存在に畏怖を抱く未来の東景で、どこまで数を増やすだろう。己のような大鼠ははたして数を増やすだろうか。]
(立花にこの姿を見せてやりたかった。)
["ケチめ。"一平の糾弾が蘇った。]
(ナルへの金は、彼が忘れる前には払ってあげるつもりで、)
[あきらと交わした食事の約束は未だ果たされていない。]
(沙霧は、高尾は、今頃どうしているのか。無事? 連絡は、届いた?)
[取り戻そうとした呼吸は、ごぷ、と音を立て、血液を押し出した。]
(――、缶詰を、ひとつくらい、残していってあげればよかった、あれは本当においしいんだから、でも、社に来る人間が増えたら、常盤だって、常磐のことを、いくらでも――)
[どうしてこんな、どうしようもないことばかりが、ぐるぐるぐるぐると目まぐるしく、浮かんでは消え失せ、思考を塗りつぶすのかわからなかった。そんな状況でないことは確かなのに。]
[ひく、と鼻が動いた。血のにおいに紛れた、あなたのにおいに気付いた。
身体はなお重かった。どれだけ力を込めたつもりでも、脚先すら動かせずにいた。自分の呼吸を、鼓動を見失った。重く、重く、自分が消えていくようで、ひどくおそろしかった。雌ネズミはようやく気付いた。これが――。]
[流血に擦りきれた声が、微かに空気を震わせる。]
とき、わ、……、
……った、とおり、ねえ、
しぬのは 。 くるしい
[それを最後に、大鼠は沈黙した。
ネズミの黒々とした眼も、ひくりと端が痙攣した口も、虚ろに開いたまま。二度と動かなかった。**]
[あなたを覗き込む視界がなぜかぼやけていて。目を瞬く。視界が煌めいた。その頭を頬を撫でようとして、伸ばしきれずに一度手を引く。殺した相手に何をしようというのか。]
――、ねね、
[けれど、耳にあなたの声が届いてしまった。]
ねね、
[震える声で繰り返しあなたの名前を呼んで傍らに膝をついて、その首へと手を伸ばして抱え込んだ。]
……っ、……
[くるしい、と最後に言い残した彼女に息を呑んで。開いた口は1度、2度、震えて閉じてを繰り返す。触れる体温だけは暖かかった。
息を呑みこんで、ゆっくりあげた視線で周囲を睥睨した。]
――、大鼠は私が殺した。……同じように死にたいやつは向かっておいで。
死にたくなければサッサと引きな!!!
[頼るべき大鼠を失った小妖どもに、そう声を張り上げた。]
[中心を失った波は共存陣営の妖怪たちに散らされ、逃げていき、そうして第一陣が形を成さなくなったころには、その場所に屋敷の姿は跡形もなかった。
そうして、大鼠の姿も。**]
【ビルの屋上/夕方過ぎ】
[東亰の夕方過ぎ、烏の鳴き声が東亰の空に響く。それは習性か、連絡か、それとも東亰に漂う死の予感の臭いに反応しているのか。]
[そこにほど近いビルの屋上に男はいた。
今日何度目かの食事を済ませたか、見た目に変化はないが、男には確実に何かが混じり合っていく。]
[空からの捜索。報せは入るが、向こう側のねぐらは見つからない。そんな中、一つの報せが入る]
…そうか…。
[それは聞き間違いもない死の報せ。
また一人、そこに帰ってこなくなる──*]
【東亰の空/深夜」
[報せが入る、その時男はこちら側の集う廃ビルにいた。向こうの巣を見つけた鼠からの報せは、こちら側を駆け巡る]
[夜空に烏の鳴き声が木霊していた。第一波の、これから形成されるであろうその後の波の情報を受け取るために]
[第一波が向かってからどれくらいがたっただろうか、烏の姿の男は知らされた場所へと向かう。
それは第一波のあとか、第二波か、とかくまっすぐにそこを目指す]
[そこにつくのはいつ頃だろうか、
いや、たどり着きようもない、そこであった場所に。
それは第一波の鼠より、きっとずっと遅い**]
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