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[笛を、手の内に捕えれば溢れる安堵のため息]
…中将、殿。
[幽かに声がこぼれて、追いかけて涙がこぼれた。
現れた安倍にも気付けないほど中将が死んだことがただ悲しかった]
[おとこの凶相は目に見えて和らいだが、それでも眼(まなこ)に漂う激したいろは消えず。
口を引き結び、強い視線を拾い上げた笛を抱いて涙を溢す式部卿宮の上に据えた。]
[怒りは、橘中将を喪った故にあらず、
中将が襲われるまで異変を察知できなかった己、
何よりも、若宮のすぐ側でこの様な怪異の発生を許した己に対してだった。]
ここは宮様のいらっしゃる様なところではございません。
早々にお屋敷にお帰りなされませ。
[やさしいが、きっぱりとした口調で忠言すると。
つい、と顔背けて、血の海に転がる橘中将の骸──より正しくはその残骸──の前に跪いた。]
・ ・ ・ ・
……足りない。
喰われたとして──
破れた衣が無いのは、その前に剥がされていたのか?
[検分するような視線は骸に落としたまま、]
富樫殿。
[近くの武士に話し掛ける。]
貴殿が参られた時には既にこうであったと仰いましたな?
何かに触れたり動かしたりはなさいましたか?
或いは誰ぞがその様なことをしているのを見たと言う様な事は。
この手形は、
[と、壁にべっとりと血塗られた手形を見遣り、]
どなたか家の者が誤って付けた、ということはないのですな。
[若宮がそこに居ないかのように、常と同じ陰陽師の顔で、役目に没頭する、]
[そうしなければ、
若宮に駆け寄り、抱き取って、
ここから連れ攫ってしまいたくなるから。]
[若宮をいとおしく思えば思うほど、
若宮の身もこころも、全てを奪い尽くて貪りたいという欲望がつのる。
若宮に見せる己を清く保とうとすればするほど、
若宮を穢して壊して、穢し尽くしたくて堪らぬ悪心が身の内で暴れ出す。
若宮に捧げるこころは無私でありたいと願えば願うほど、
若宮を奪い取って、縛り付けて虜としたい身勝手な思いが止まらぬ。]
[膝をついたまま、その状況を眺め。その様子は余りにも酷いもので、自身色々な屍を見てきたが、一、二を争うほどに内に残る、色と臭い]
(こんなことを、誰が。あの手形は、何だ? 誰がつけたものか。
誰がこんな事を。)
[この都と同じ、
美しく装い、外に向かってはあらゆる災い遠ざけんと堅く閉ざせば、
開放されること無いまま内に澱み溜まり、穢れが充満する──
分かってはいても。]
[確かに憤りはしたが、心は平静を保ち]
(中将は誰かに恨まれでもしていたのか。それとも、あやかしの仕業か、あるいはただの戯れか。
どれでも、知っている者がこんな風になるのは気持ちいいものではないな。吐き気がする)
若君様、橘の中将様もこのような場所に若君様がおられることを望んではいないでしょう。
退出された方が良いように思いまする。
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