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[入口の傍で、使用人が何かを取り落とした。美しき淫魔、ザリチェに見惚れていた所為だった。ドーム天井の室内に金属音が大きく反響した。
クァルトゥスは、今まさに──淫魔の紅唇がウェスペルのくちびるを奪おうとしたその瞬間、振り返った。
傍らに在ると思ったウェスペルが遅れていると云う理由で。]
[どくり]
・・ウェス
[泉の水が、泥ごと貪欲な妖魔によって吸い込まれてしまう瞬間に似た音が響いた。]
[ごぽり]
[振り返ったクァルトゥスの貌には、爛々と光る紅玉(ルビー)の瞳が二つあった。]
――……!
[吐息もかかる間近、
身を退くが 伸ばされた手、絡め取られる。
宝石の様な唇が近づき。
顔を背けようとしたとき、
暗赤色が閃いた。]
[ぱたた、ぱた。]
[滴り落ちるのは水ではなく、血だ。
白は何処にもなく、赤に塗れた姿が何も無い荒野に在る。
澱んだ色ばかりを奪った所為か、青というよりは殆ど闇に近い。
心なしか、その容姿も年を重ねたように見えた]
[白い腕が撓り、黒衣の魔の細身の身体へと回される。
蜘蛛の糸、絡め取られた揚羽蝶。
紅玉の唇がまさに触れなんとした刹那、こちらに伸ばされた暗赤色の義手に。
淫魔はくるりと体勢を入れ替え、ウェスペル自身を盾にするようにその背後へと回った。]
[眼下には、姫君の腐った死体。
ジュアンはひとつ息を吐くと、クァルトゥスが与えたふたつの《青》――アーヴァインの額の宝石と、クァルトゥスの臓腑をその上に投げ込んだ。]
―――…要らない。
[―――…グチュリ。]
[鈍い音と共に、鮮血の《赤》と腐った肉の《黒》が、刹那、蝶の羽根のような弧を描く。虚空を舞う血が、古めかしい白いハイソックスにかかるのを、ジュアンは無言で――左目を瞑って、見つめていた。]
[カタチが無くなるまで幾度も踏み付け、そして――…]
―――…さよなら。
[その場を、後にする。]
[それから、どれだけ歩いただろうか。]
[魔の影なぞ見つかりもしないほど寂しい荒野に、ひとつの影を見つけた――…]
―――…ニクスさん?
[《赤》と、闇色の《青》を見て、ジュアンはにこりと微笑んだ。]
[ククク、とさも可笑しそうに喉を鳴らす。]
何をお怒りか?
貴方にとってウェスペル殿はそれほど大事なものなのか。
[揶揄する嗤いを乗せて赤い戦魔に尋ねる。]
その間にも淫魔の手は休むことなく捕らえた魔の身体をまさぐる。
[ゆぅるりと振り向く様は、幽鬼の如くに]
……ジュアン?
[紅く濡れたくちびるから、かれの名が零れる]
どうして、此処に居るの。
ザリチェに食べられでもしたかしら。
何を、きさま、戯言……ッ、ゃ
[堪えるようにきつく眼を瞑り、唇を噛んだ。
指は酷く繊細で残酷に、感覚を目覚めさせていくようだ。
魔力と引き換えに快楽を。
眇めた視界に入った、
炎のような瞳は緋色――双眸]
クァ、ル――…ッ
[義手はザリチェの腕からウェスペルを奪う様に抱き寄せた。]
・・・否。
[己の屋敷で「淫魔に近付くな」と云った言葉を指していた。
クァルトゥスは、抱き込んだウェスペルに噛み付く様にしてくちづけた。
強引に唇を割り、舌を吸う。
快楽によって魔力を奪われた事を咎める様に。
そして、空気を求めてくちびるをひらかざるを得ないウェスペルの喉奥に、何か──激しく脈打つあたたかい塊を流し込んだ。《それ》をのみ込むまで、重ねた唇を離さない。]
――何故でしょうかねぇ?
まあ、いろいろゴタゴタしてましてねぇ……気がついたらここに居ました。
[首を傾げて、にこりと笑う。]
ニクスさん。
綺麗な《赤》を御召しのようで。
――…昨日よりも、お美しいですねぇ。あははっ。
[ニクスの唇に、そっと右手を伸ばした。]
[己の名を呼ぼうとしていたウェスペルの声が途切れた。]
…敵巣で、“渇きの君”に力を奪われてどうする。
だから(気をつけろと)云ったろうに。
ふうん。
今日も、いつもと違う服着ている。
[触れてくる指先に、眼を眇めてかれを見上げる]
ジュアンも「ニクス」を穢す?
飲み込んだか。・・ウェス。
…それは、私の三つ目の心臓だ。
使え。
[唇を離したクァルトゥスは、
──吼える様に嗤い、ウェスペルを突き放した。]
な、……!?
[力の抜けた体は為すがままで、
息を吐くまもなく唇を奪われた。
クァルトゥスを掴んで自分を支えるようにしながら]
――ッ、ぅ、ん
[息が出来なくて思考に靄がかかる。
滲んだ涙、
こくり、と。
流し込まれるまま なにものかを 嚥下した。]
――ッ!?
[己の《青》と、瑠璃姫の《青》――ジュアンの双の目は、色鮮やかなニクスの姿をじっと見つめて居る。]
[その身を覆う《赤》の霧――
彼女が纏う青き闇――
否。
《黒》を―――…]
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